その1では、転院から胎児発育不全と診断されるまで
その2では、2度目の転院まで
を書きました。
今回は、切迫早産の診断を受けてから3度目の転院になったときのつづきを書きます。
救急車での搬送
翌朝、なにかあっては困るとのことで救急車での搬送となった。
私一人で救急車。
産科の先生と共に。
夫と両親は自家用車で別便で向かう。
具合悪いわけじゃなくて、急にお腹が張って赤ちゃんが苦しくなったら大変だからっていう配慮で救急車。
本当にありがたかったけど、こんなんで救急車のっていいのかなぁと少し申し訳ない気持ちにもなってしまった。
まぁ点滴も繋がってたから救急車で行くしかなかったんだろうけど…。
救急車の中では救急隊の人がこまめに様子をみてくれて本当に心強かった。
眠るわけでもなく、ましてや携帯なんかいじれるわけもなく、ただただ痛いなぁって自分の点滴のささっている腕を見ながら、病院に着くのを待った。なにをしているのが正解だったのだろうかこの時間。
病院に着き、救急外来の場所を通って病棟へ。
3度目の転院
産科へ運ばれ、早速エコーやら内診やらいろいろ。
子宮頚管長は昨日言われたほど短くはなかった。まぁ短いことは短いらしかったが。
お腹の張りはまだあって、やはり時々赤ちゃんの苦しいサインは出ていると。
でも緊急帝王切開というほどではない。と言われ一安心。
長い時間じっくり先生はエコーで見てくれた。
やはり週数にしてはだいぶ小さい。
そして、小さい原因を探してくれていた。
が、前の病院で言われたのと同じようなことだけしかわからなかった。
そして病棟へ。
入院するのはMFICUという病棟だった。
小さい原因は
夜、小児循環器専門の先生が再びエコーをみてくれた。
主に心臓を詳しくみてくれた。
お腹の中にいる赤ちゃんの心臓を細かくみれるなんてすごいなぁと思った!
先生だいぶ詳しくみてくれていて気付けば2時間近く私は検査室に入っていたみたい…。
途中から先生の数が増えたり、ぶつぶつと先生同士で話し合っている声が聞こえて、とてつもなく不安になった。
時々涙が流れたけどグッと我慢。
ただただ恐怖が増す一方で不安が募った。
検査が終わって病室に戻り、夫に会った途端に大号泣した…我慢してた感情があふれた。
先生たちがぶつぶつ話しているのを聞いて不安になり、悪い方向にしか考えられなくなっていた。
その後主治医が来て話をしてくれた。
結果、ただ単に小さいだけの胎児発育不全ではなさそうということだ…
羊水検査への同意
大きな奇形は見当たらなかった。
心臓も脳もちょっと“ん?”と思うところはあったらしいが、なにせお腹の中なのでエコーだけではわからないところもあるとのこと。
こうなると考えられるのは
「染色体異常」
羊水の量も十分ある。
妊娠後期のこの時期だけどやるメリットはあるとのことだった。
ただそれなりにデメリットもあるわけで、自費でそれなりの金額もする。
迷ったが夫と話し合いやることに決めた。
そうかもしれない…というもやもやを抱えたままよりは、はっきりわかったほうがいいと2人の意見が一致した。
翌日検査をする。
結果は早いのが1週間後。全部の結果が出るのが2〜3週間後。と言われた。
産科の先生の意向としては、染色体異常がみつかったら、母体優先で帝王切開はできればしたくないとのことだった。
つまり、赤ちゃんが苦しくても自然分娩にする。死産になる可能性もあるとのこと。
帝王切開のリスク。産まれてきた後の赤ちゃんのリスク。家族が抱える問題などについて話してくれた。
今考えるときっとあそこの病院は、染色体異常の子に対して積極的な治療を行わない方針だったんじゃないかとも思える。そんな話し方にも聞こえた。
高齢出産でもなく、不妊治療をしていたわけでもないからこういう話をしましたとは言われたけど…。
でもその時は妙に納得してしまい、もし異常が見つかったら帝王切開はしないという方向で考えようとなった。
さいごに
妊娠後期。間もなく赤ちゃんと会えるというときに、赤ちゃんが産まれてこられるかどうかの選択になるとは思いもしていなかった。
本当に毎日が辛かったし、考えることが多過ぎて理解するのに時間がかかった。気持ちを立て直すのにも時間がかかった。
でも、しっかり原因をつきとめたいと思ったから羊水検査を受けようと決めた!
羊水検査の結果を待つ間はつらかったけど…。
つづく。
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