その1では、妊娠初期から1度目の転院までを書いています。
ここで胎児発育不全との診断を受け、もしもの場合にNICUのある大きな病院に転院することを決めました。
2度目の転院
紹介状を書いてもらって、翌週には転院先に行きました。
まだ30週で2週に1度の検診でいい時期でしたが、胎児発育不全で結構小さめであったため週1の受診がよいとのことで、すぐに受診しました。
正直2週間後でいいかなぁーなんて軽く考えていましたが、夫から早めのほうがいい!とすすめられ、渋々翌週に受診したのです。
この時夫からの助言がなく、もう1週遅らせていたら…と考えると恐怖でたまりません。
間違いなく大変なことになっていたであろう…
自分だけで判断するのではなく、ちゃんと夫に相談することの大切さを痛感しました。
30週目での受診
ということで、30週目に2度目の転院をし、受診。
紹介状に胎児発育不全と書いてあったからか、また詳しい超音波検査を受けることに。
総合病院だと待ち時間がだいぶ長い。
ちょっと用事を済ませてみたりしてたので、私の番が来たのは人がだいぶ少なくなってきた午後だった。
呼ばれて助産師さんの問診を受け、体重や腹囲などを測定した。もうすぐ診察になりますからーと言われ、診察に呼ばれるまでの間、初めてのNSTモニター検査をした。
NSTモニターをつけている間、ちょこちょこ助産師さんが見に来た。そして、
お腹結構張ってる感じあるんだね
と言われた。
正直そこまで張ってる感じはその時はしなかった。
家では最近張りやすいなぁなんて思っていたけど
“妊娠後期はお腹が張りやすい、ちょっと休んでよくなれば大丈夫”
というネットの情報を信じていたため、あまり深く考えていなかった。確かに張る頻度は多くなってはいたけど、横になっていれば問題なかったし。
初めての経験だからどこまでが正常でどこからが異常の範囲なのかがわからない!
少なくとも検診でなにも指摘されていないから特に心配はしていなかった。
助産師さんから
“今張ってるのわかる?”
とNSTモニターの途中で聞かれたが正直わからなかった…
お腹の張りが日常的におこっていて慣れてしまっていたからわからなくなってしまっていたんじゃないかと思った。あぁ怖い。
切迫早産で緊急入院
そして診察に呼ばれた。
初めに内診。
その後診察。
先生の一言目が
「切迫早産です。」
だった。
恥ずかしながら切迫早産ってなんだかよく知らなかった。
早産っていうから産まれた状態のこと?なんて今まで思っていたのです…無知すぎた私。
“子宮頚管が短いし、お腹も定期的に張っている。早産になりかけている状態なのでこのまま入院になります”
といろいろわかりやすく先生が説明をしてくれた。
…ん?入院?
まさかの展開だった。
家で安静にしてるんじゃダメなの?と思ったが、子宮頚管が結構短くなっていたから仕方ないかと思えた。
まだまだ赤ちゃんも小さいから入院して状態がよくなるなら、入院を受け入れよう。
そんな風に冷静に受け止められた。この時は。
赤ちゃんは前の週より少しは大きくなっていた。超音波の結果は前の病院で言われたのと同じようなことだけだった。
そんな話をしながら、診察が終わりになるとき、私は先生に
“1回家に帰って荷物を準備してから入院手続きに行ったらいいですか?”
と聞いた。のん気に。
すると先生は
「そういう状況ではないんです」
と言った。
え?…
ここで初めて自分がおかれている状況がただ事ではないということに気が付いた。
緊急帝王切開!?
お腹の張りが定期的にあり、このまま陣痛に移行してしまうかもしれない。つまり、今日産まれてもおかしくない状態だとのこと。
そしてお腹が張ると赤ちゃんの心拍が落ちて苦しそう。点滴で張りどめを入れながら様子は見るが、このまま改善しなければ今日にでも緊急帝王切開しなければ赤ちゃんが危ない状態とのこと。
え?そんなに?って感じだった。
予想外の展開過ぎてただただ戸惑った。頭がついていかない。
先週の検診ではなにも言われなかったよ?子宮頚管短いなんて言われなかったよ?赤ちゃん元気ですって言ってたよ?って。
1週間でこんなにも変わるのか…。それともたまたま調子いいときに検診で診てもらってただけなのか…。
ひとまず診察終わって待合室で待つ。
病棟の看護師さんと一緒に採血やレントゲンなど、帝王切開になってもすぐ対応できるように必要な検査に行くことになった。
もう歩くことは許されない。絶対安静の車椅子。
いっきに病人になった気がした。
その時、ちょうど検診のお迎えにお母さんが来てくれていて合流した。
お母さんに“このまま入院することになった”と告げると同時に、人目を憚らず涙があふれた。
赤ちゃんのためだから入院嫌だとかなんでとか、もちろん言えるわけもなく、ただただ状況を理解するのに必死だったが、お母さんと会ってようやく張りつめていた気持ちが解放されたんだと思う。
入院なんて嫌だ。
赤ちゃんが元気じゃないなんて嫌だ。
緊急帝王切開なんて嫌だ。
おうちで妊婦生活を楽しみたかった。
赤ちゃんの物を買いそろえに行くところだったのに。
押し殺していた気持ちがどんどん溢れてきて、涙もとまらなかった。
ひとしきり泣いたら少し落ち着いた。笑
入院
大部屋に入院。
周りに入院している人も妊婦さんだったのかな?
皆点滴をしていた。
切迫早産なのかな?なんて思いながら、私も点滴を開始。
子宮収縮抑制剤の24時間点滴。
副作用が強めのようで、つらければ教えて下さいと言われた。
…すぐにつらくなった!笑
体があつい。
手が震える。
こんなにすぐでる?副作用。しかも結構しっかり出るじゃん副作用。
しかも絶対点滴うまく入ってない。ちょっと痛い。でもしっかり薬はおちてるから大丈夫と言われ、様子見になった。我慢できなくなったら教えてと言われたが、あんなことになるなら我慢せずに差し替えてもらえばよかった…。(後に書きます)
NSTモニターをずっとつけて様子を見ていた。
お母さんに家に荷物を取りに行ってもらおうと思い、必要な物を紙に書く。
手が震えて字が全然書けない!笑
力もうまく入ってなかったのか、一文字書くのにすごく時間がかかった。
そして寝ながらだと書きづらかったので、ベッドを起こした。
起こすとお腹ちょっと張るなぁなんてお腹の張りを少し感じた。
とその時!
看護師さんが走ってきた。
どうやら今のお腹の張りで赤ちゃんが苦しくなったよう。
すぐにベッドを横に戻され、先生に確認してきます。なんて言いながら慌ただしく出ていった…
嘘でしょ?確認ってなに?まさか緊急帝王切開!?
なんてドキドキしながら、もうベッドを起こすのはやめようと思った。
文字が書けないから口で伝えてお母さんにメモってもらった。
しばらくして看護師さんが帰って来て、点滴の濃度?を上げた。これでまた様子を見ますね。とのことだった。
しかし、このお腹の張りで赤ちゃんの苦しいサインが出たことも理由のひとつになったようで、先生の判断が変わった…
再び転院
夜になり、夫も来てくれた。私の両親も荷物を持って来てくれていた。
そこで主治医からの話。
詳しい超音波検査の結果なども含めて、やはり大きな奇形はみられず、なぜ小さいのかもっと詳しく検査する必要があるとのこと。
しかしその前に今は赤ちゃんの苦しいサインが気になるとのこと。
ここの病院では1500g以下の赤ちゃんは受け入れが厳しいらしく、緊急帝王切開の可能性が高い今、もっと受け入れ体制の整った病院に転院したほうがよいとのこと。
先生に言われたんじゃそうしたほうがいいんだと思い、再び転院を決意。
受け入れ先は先生が探してくれた。
片道一時間くらいの場所にある病院に行けることになった。
県内で受け入れが厳しければ、隣の県になるかもとかも言われていたので、見つかって一安心した。
ひとまず点滴でお腹の張りが落ち着いてきたので一晩はここに入院。
翌朝、救急車で転院先に搬送になった。
さいごに
二度目の転院までのことを書きました。
書いていて、あのときは大変だったなぁと改めて思い返しました。
あのときはとにかく必死に理解しようと頑張っていたから、他のことを考える余裕も自分の状態や赤ちゃんのことも客観的に考えることができていなかった。
今考えると“今日、緊急帝王切開になってもおかしくない”だなんて恐怖でしかないのに、あのときは頭がついていかなくて、ぽかーんとしてたなぁと。
きっと夫や両親は私以上に怖かったんじゃないかなぁと思える。
胎児発育不全はあるけど、それ以外は順調にすすんでいると思っていた。周りの普通の妊婦さんみたいに大きいお腹して大変そうに買い物なんかするんだろうなぁと思っていた。
それが突然。急展開。
だから理解が追い付かなかったんだなぁ…。
つづきはまた。
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