産後のこと~アルバイト編~

産後のことについて書き残しておきます。

産後、メンタルがやられそうになりました。そんなつらい日々の私なりの乗り越え方について!

参考にはならないかもしれませんが…笑

私の退院後

赤ちゃんをNICUに残して私は退院した。

今まではすぐに会いに行くことができたけど、退院してしまってはすぐにいつでも会いに行くことが出来ない…それがすごく寂しく思えた。

私は産後に結構重い貧血になったため、なかなか回復しなかった…

すぐに気持ち悪くなるし、立つのも長い時間続かない、切迫早産入院で全身の筋力は衰え…なかなか体もきつかった。

そもそも産後はゆっくり体を休めましょうって言われていますよね。更年期に影響がでるとかも言われましたが…

でも毎日面会には行きたいから、休んでいる場合じゃなかった。

だって明日もまた会えるとは限らないでしょ。生きられるかどうか…なんて言われていたんだからね。

だからものすごく体調の悪い日を除いて、毎日面会に行った。

休めるだけの心の余裕がなかった…

でも、病院までは片道1時間かかる。さすがにこの体で電車で通うのはリスクが高すぎたため、産後1カ月までは母親に車で送り迎えをしてもらった。

片道1時間…母も大変だっただろうに。感謝しかない…

実家とは近い場所に住んでいたため、あえて実家には帰らなかった。そのため毎日母が来てくれていた…帰っていた方が楽だっただろうなぁと反省はしている…笑

病院の送り迎えのついでに母は家のことも手伝ってくれた。掃除・洗濯・料理…私の無理のない範囲でできるように協力してくれた。

本当に優しい母。感謝しきれないくらいの感謝!

そんなわけで産後1カ月までは毎日平日は母が一緒にいてくれて一人になることはなかった。

産後一カ月

産後一カ月健診には、一人で病院に行くことにした。

この日から独り立ち!と決めていたから笑

ものすごく久しぶりの電車。地味に混んでいるから座れない…座れないのがこんなにもつらいのか…と思った。立ちっぱは本当にきつかったが、なんとか倒れずに病院に着くことができた笑

ということで、この日を境に母の送迎は終わり!子供への面会も電車で一人で行くことにした。母はNICUに入ることができないから、一緒に行くのも申し訳なかったし。

そして平日、一人の時間ができた。

そしたら…

精神的につらい

毎日家事をして病院の往復をするだけ。赤ちゃんのこれからが全く見えなかったのもあってすごく辛かった。

そして、電車で通うようになって、「私は社会の一員なんだ。」という忘れかけていた当たり前のことをまた身に染みて感じるようになった。入院〜産後1ヶ月までは特殊な世界だけしかみてこなかったから、外界の普通を忘れかけていたわけで。

皆普通に生きている。電車だといろんな人とすれ違う機会が多いから、そんな当たり前のことを思い出した。元気な子供を連れている人。働きに出る人。そんな世の中の当たり前の中で、私だけが当たり前じゃない生活を送っているように思えてしまった。

普通とは違う妊娠生活~出産、産後を送っている私。出産したのに子供は近くにいない。かと言って仕事は退職しているし、戻る職場もない(所属意識的なもの?)。遊びに行くどころか、食料品以外の買い物に出かける心の余裕すらない。…そんな自分が特別な人間に思えてきた。そしてそれがものすごく辛いことに感じるようになり…

病んでいくのであった…笑

でもこれは産後うつとは違うよね?だって赤ちゃんのお世話しているわけじゃないんだから…なんて思ったり。

でもなにもしていないと悲しくなって涙が出てきたり、常に心がマイナスだったり、感傷的な気分が続いていたり…憂鬱だった。うつ…という言葉も頭によぎった。でもそうやって冷静に考えられているうちはまだ大丈夫か?なんて自問自答していた。

そこにさらに追いうちをかけたのが、ちょうど夕方にやっていたドラマの再放送。「東京ラブストーリー」笑。結構はまってしまって毎日かかさず録画してみていたんだけど…カンチはなんでこんな選択をするの?リカがかわいそうじゃん。なんて。ドラマに感情移入しすぎて病みを悪化させていたように思える笑

最終回が終わっても終わり方に納得がいかず、しばらく考えていた。リカはどうやって生きていくの?リカは幸せになれるの?さとみよく平気でいられるな。と、だいぶ昔のドラマなのに、リカのことを考えて病んだ。笑

たぶん精神が病んでいたからだろう。こんなにドラマに感情移入したのは初めてだった笑。それとも東京ラブストーリーにそういう力があるのか?

とにかく東京ラブストーリーは悲しくて、私の病む心を悪化させていたと思える。

どんどん病んでいく日々。

でも、このままじゃダメだ!とある時思えた。

そんな私がとった行動が

バイトを始める

ということだった。

毎日家と病院の往復だけ。

会話は病院に行って担当の看護師さんと少し喋るくらい。喋るといっても状況を聞くだけ。なんかいろいろな話をする余裕はなかった。

人との関わりがなさすぎて病んでいるような気がした。少しでも社会の一員になれれば変わる!と思った。

ので、産後2か月後~バイトを始めた。

前の仕事は育休とかではなく、退職をしたので戻る場所はないので、新しく職種も変えて探した。

なんとも融通の利くバイト先を見つけた。

週に2~3日。午前中のみ。さらにNICUの面会開始時間には行きたかったから午前中も早上がり笑

いいの?って思ったけど、それでいいそうで笑

本当にありがたい労働環境だった。ものすごくいい気分転換になった。

毎日バイトに行って、面会に行って、家事をして…と、肉体的には正直きつかった。

でも精神的にはものすごく楽になった!たぶん忙しすぎて余計なことを考える時間が少なくなったからだと思う。疲れるから夜も眠れたし、鬱々とした気分はなくなったから、これが私に合った生き方なんだなぁと思った。

働く事なんか嫌いだったのに。不思議なものです。笑

子供のことは詳しくは話さなかった。病気で入院していて長くなりそうなので…みたいな感じで。だから退院したら少しお休みもらうかもしれませんとは言っておいた。

ということでそんな生活を半年以上続けていて、自分の生活リズムもできた。

そしていよいよ

退院

念願の退院となった。

1年はみといたほうが…と言われていたが、1年かからず退院することができた。

しかし最初とは違う状況でおうちに来ることになった。

そう。気管切開。

これはバイトを始めた時には予期しなかった出来事だ。

だからバイト続けられるかなぁ?なんて不安には思いながら、しばらくお休みくださいと休みをもらった。もともとは退院しても少し落ち着いたら週1~2日でバイトは続けるつもりだったので…。

しかし、やはりこのまま復帰するのはすぐには難しい。もしこんな私でもあてにされていたら迷惑がかかってしまう…と思い、バイトは辞めることに決めた。

バイト辞めます

現状を考えると母親に子供を預けるのは負担が大きすぎるし、訪看だって時間は決まっているし、また働くことが難しかった。

仕方ないけど…辞めますとバイト先に伝えに言った。

すると…

「今は大変なら、月1でもいいよ。働くことが気分転換になるかもしれないし、月1でも働けそうならおいでよ。」と言われた。

神か?笑

月1でもいいの?そんないい条件ある?と思った。

もちろんこの時も子供の詳細は話していない。最初とは状況が変わってしまったから…しか言っていない。なのに詳しく聞くこともなく、そう言ってくれた。

ただ単に内情に興味がないだけかもしれないけど。笑

でも本当にありがたかった。

月に1度、2~3時間なら母に預けるのも苦ではないし、母も気軽に引き受けることができるであろう。

私もまた社会の一員として世に出ることができるし、いい気分転換になる。

そして技術を忘れないためにも…月1くらいは働いた方がよさそう。笑

全然好きな仕事ではなかった。今までは他の仕事をしていたし。でもこんな条件で働くことができるのは資格職の特権だと思った。初めて資格をとってよかったと思った。笑

私は学生時代にいろいろな資格や免許を取ってきた。勉強が好きだったわけじゃなくて、長く学生でいたかったそれだけ。本当にお金の面では親に負担をかけたけど…

で、何個かとってきた免許の中で自分のやりたい仕事を選択して働いてきた(自由を選択しすぎました…)。

だからこうして眠っていた免許を活用できることができてよかった!

さいごに

私は普通の育児を知らないのでわからないですが、普通の育児をしている人にも大変なことはあり、辛い状況になることはあります。産後うつという言葉があるんですから。

そして、理由はともあれ子供が入院している人は、普通の育児をしている人達とはまた違った辛さがあると思います。

そんな辛い状況の時に、どう立ち直っていくか。これは人それぞれ。

私は肉体的にはきつくても、精神的に楽な道を選びました。そのおかげでだいぶ精神状態は落ち着きました!

自分に合った対処法をみつけられると、自分にとっても周りにとっても、なによりも赤ちゃんにとってもいいことだなぁと感じました☆

コメント

タイトルとURLをコピーしました